弁護士としての仕事を成り立たせていくためには「クライアントからのニーズがある分野」を手がけることを意識するのが重要です。たとえば、米国に留学して「環境法に興味を持った」として、その分野を理論的に詰めて勉強したとしても、その分野の仕事を依頼してくるお客さんがいなくては仕事としては成り立たないでしょう。
M&Aもファイナンスも、いずれも優れた弁護士へのニーズが高い分野であることは確かであり、この分野の専門家を目指すことは目標としては素晴らしいでしょう。ただし「仕事として成り立つかどうか」は、供給サイドにも目を向けなくてはいけません。
昨今、M&Aやファイナンスの案件が大きく新聞でも報道されるようになり、弁護士を目指す人からすれば、「M&Aロイヤー」や「ファイナンス・ロイヤー」はイメージしやすい成功した弁護士像とも言えるでしょう。そのため、候補者が激増しています。しかも、その候補者は学歴・成績において最優秀の人材が多くいるのです。
M&A、ファイナンス案件の需要が増えていることは確かですが、だからこそ大手弁護士事務所やM&A、ファイナンスを専門としたブティック法律事務所に入所すれば、すぐに大型案件のチームに入れてもらう事はできるでしょう。しかし、気を付けなくてはいけないのは、M&Aやファイナンスの大規模事件における弁護士の業務には、大量の新人弁護士を動員する作業もたくさんありますが、3年目にも活躍してもらいたい仕事は徐々に減ってきます。さらに弁護士5年目、7年目、と年次が上がるほど弁護士になるほど、関与しなければならない仕事の種類は減ってくるでしょう。
一般論からすれば、チームの仕事は1人のプロジェクトマネージャーのもとにたくさんのスタッフが集まって行うものです。プロジェクトマネージャーの仕事には調整力も必要ですし、想像力も必要でしょう。ただし、その下に集められたスタッフに求められる資質は、基本的には注意深さと勤勉さです。もちろん、アイデアは下から上へと吸い上げられるものですが、大半の業務は刺激のないものでしょう。想定外の刺激的なことが次から次へと出てくることは友好的なビジネス取引では有害とすら判断されます。そのような、埋もれていくだけの作業に身を投じることで弁護士としての経験を積んでいく、そのためには抑揚のない作業の中に自発的な問題意識を持ちづけることが重要なのです。
世間で騒がれるような事件を担当したい、この気持ちはだれもが持つものでしょう。しかし、そのような重要事件に携わることで新人弁護士の経験は、人材市場における「平凡な価値」にしかならず、「代替性がない価値」とは認められないでしょう。
大型プロジェクトを担う組織に身を置く限りは「現状維持」を期待しなくてはいけません。年次が上がるにつれ自分が担うべきポストの数は、徐々に減っていきます。優れたチームに身を置くということは、常に所属組織内における競争にさらされることでもあります。そのような競争がなくては、その組織は市場で生き残ることが出来なくなってしまいます。
かつて、日本の都市銀行は「人材焼却炉」と呼ばれた事があります。大量の優秀な社員を採用するが、結局はその能力を伸ばす事もなく腐らせてしまったという比喩です。これはきわめて人道的な日本の会社組織を表現したものでもあります。
つまり、腐った社員でも会社に残り、給料をもらい続けることができるというセーフティネットの存在も含んでいたのです。もちろん、大規模なリストラも行われ、それが社会問題となった事もありました。ただ、弁護士の世界はもっと深刻なのです。アソシエイト弁護士は労働法の保護を受けないのが普通です。「腐っている弁護士」を抱え続けられるほどの余裕がある法律事務所は存在しないでしょう。アソシエイト弁護士は、自分で生きていく術を見つけていかなくてはいけないのです。
弁護士として生きていく術の1つは、所属する組織において順調に出世し、プロジェクトマネージャーたる地位に上り詰めることに間違いないでしょう。そのためには、与えられた目の前の仕事に全力を尽くして取り組むしかありません。しかし、誰もがその地位につけるわけではありません。とすれば、2つ目のシナリオは、「所属する組織を離れても生きていく術を探る道」でしょう。
日本では、会社に限らず、法律事務所においても「組織固有的な技能」を磨くことに多大な時間をかけていると言われています。組織を離れてしまえば、他の組織では転用・応用が利かない知識・経験の事です。弁護士の仕事において、本当はよそでは使えない知識・経験なんてものは存在しません。しかし、仕事のやり方を間違えると、そういう風にしか経験が身につかないこともあり得ます。とくに、大型プロジェクトで大人数の新人弁護士を要する作業において、先輩弁護士の目の行き届かないところで発生する危険が高いでしょう。
このような仕事の仕方を避けるために、何をすればいいのでしょうか。
本人が問題意識を持って、日々の仕事に取り組むこと、これ以外にありません。すべての弁護士の作業には意味があるのです。もし本当に「意味がない作業」がれば、それは作業のスコープから外すべきでしょう。一番怖いのは、「本来は意味がある作業であるにもかかわらず、担当している弁護士にはその意味が分からずに、形式的にこなしている作業」です。これは依頼者に対する弁護士報酬のメーターをいたずらに回すだけの意味しか持ちません。
新人弁護士にとって、稼働時間を増やすことで自分の忙しさを内向けにアピールすることにはなるでしょう。しかし、そんな無駄な作業に自分の時間と労力を疲弊させていては、今後の競争を乗り切れるような力を身に付けることはできません。
大型のM&Aを指揮して取り仕切った弁護士には計り知れない価値が認められます
新人弁護士の仕事はこのプロジェクトマネージャーたる弁護士の市場価値を向上させるのに大いに役立っているでしょう。ただし、新人弁護士の仕事は、チーム編成における1スタッフとしてのポジションの経験値を積んだことを意味するにすぎません。このレベルの経験では、市場において重要プロジェクトのマネージャー格やサブマネージャー格の弁護士が求められた時に、候補者として名を連ねるような評価にはつながりません。
スタッフ格の弁護士は、次にサブマネージャー格の弁護士が担うポジションへ、さらにはマネージャー格の弁護士が担うべきポジションへとステップアップできる経験を積んでいかなくてはいけないのです。そのようなステップアップのチャンスを転職に期待するのは間違いであり、ステップアップのチャンスがもらえるのは、所属する組織における昇進のみでしょう。
重要な人事はその人事権を振るう人物にもリスクを伴います。だからこそよく知った人物を登用したいと考えます。見ず知らずの人物を登用するのは一種の賭けのようなものでしょう。そのため「自分の仕事ぶりをよく知っている上司」にチャンスを貰うのが王道です。大型プロジェクトでスタッフを務める新人弁護士は、その組織の中できちんと仕事の経験を詰んで、より責任が重い仕事をまわしてもらえるように努めなくてはいけません。